チャコ文化国立歴史公園

チャコ文化国立歴史公園

アメリカの世界遺産「チャコ文化国立歴史公園」は、1987年にこの名称で登録されましたが、2006年に「チャコ文化」という名称に変更されています。
世界遺産「チャコ文化国立歴史公園」は、ニューメキシコ州の北西部チャコキャニオンという険しく涸れた厳しい自然環境の渓谷の中に開いた文化が保存されています。

 この地は、10世紀から12世紀中頃の期間にかけてブエブロインディアンが住み、彼らの作り上げたブエブロ文化の最大の中心地でした。
ここ「チャコ文化国立歴史公園」には、岩を削り、それを固めてレンガとし、材木は30キロほど離れた遠方の森から持ってきて壮大な建物が建築されました。
城壁に囲まれた大きな集落は12か所、小規模なものは400以上あることが分かっています。
世界遺産のチャコ文化国立歴史公園内には、全部で2400か所の遺跡があり、保存されていますが発掘調査が行われているのはまだ、わずかと言う現状です。

 その中で、最大のものは、プエブロ・ボニートと呼ばれています。
その面積は8000平方メートルもあり、一部は4階建てになって造られ、全体で少なくとも650から800程度の部屋、そして「キヴァ」と呼ばれる地下礼拝所が36か所あるとされています。
たくさんの礼拝所があることから、ここは宗教的な儀式を行う場所と考えられています。
遺跡には灌漑設備が整えられ、食料品を貯蔵する部屋も地下に造られています。

アメリカインディアンと言うと、西部劇に良く出てくるアパッチ族やコマンチ族など白人と激しく戦った攻撃的で狩猟を行う部族を想像しますが、ブエブロインディアンはトウモロコシ農業を主体に定住し、アパッチ族のように略奪をする部族とは違っていました。
当然、これら部族とは、対立関係にありました。

 このように、「チャコ文化国立歴史公園」に住んだブエブロインディアンは農業主体の生活のため、また水の少ない地域のため気候の変動を知ることが重要であったのか、天体観測を行っていた形跡が遺跡に残っています。また、外敵の攻撃に対して備えるために崖を利用して「岩窟住居」を作って生活を行っていました。

 地理的にはブエブロ・ポニートをはじめ同じような遺跡は、標高が1900メートルに高地にあり、寒いと氷点下30以上にもなり、暑さは最高では40度近くにもなる寒暖の差が大きくて厳しい気候環境下にある中でも生活がなされていました。
しかし、この厳しい環境に更に加えて、1130年頃から始まった気候の変動によって厳しい干ばつが50年間にもわたって続くことになり、ブエブロインディアンはやむを得ずこの地を放棄し、他地区へ移住していったため建物は廃墟となってしまうことになり現在に至っています。